サバトについて

生贄

狂宴は26日明け方まで続き、昼過ぎに起きて夕方に帰宅するも服用した薬物の副作用によりものすごい勢いで頭が痛くてブログを更新する余裕もない。
我ながら退廃的な生活だ。サバトはこうでなくてはいけない。

夜になりやっと頭痛も直ったので、一応生贄の鳥の死骸の画像などをうpしてみる。

今回生贄になってもらったのは鶏ではなく七面鳥であった。七面鳥の死骸を食するのは初めてであったが恐ろしく美味だった。残さず貪った。我々は神は呪うが、生贄となった動物への感謝は忘れないのだ。


我々のサバトが功を奏すれば、あと1年ほどの間、ほとんどの日本人はまったくと言っていいほど神を顧みることなどないだろう。1年後に思い出しても、背徳を為すための言い訳にされるのが関の山である。ザマを見るがよい。