文章表現プロトコルとモテナイ理系男について
渋谷で働く社長のブログで紹介されてたブログ。
秘密の扉
読んでると、書いてあるシーンが浮かんで来ます。全部読んじゃいました
宮沢賢治の詩とか読むと、農村と空と雲と森と川の風景が思い浮かぶような、そんな感じ。(生まれてこのかた農村で生活したことなんてないのに(笑)
今の彼氏に対する想いとか。子供に対する想いとか。
心をそのまま切り取ったような表現が突き刺さります。
この方の幸せを祈らずにはいられません。応援してます。
と、同時に改めて自分の文章の方向性を認識しました。
僕は自分へのインプットに対して、論理とか分析のフィルターをかけないと表現としてアウトプットできません。
また、インプットに対して思い浮かんだもやもやとした仮説について、論拠や証拠を探します。裏付けが取れなければ仮説を修正してまた裏付けを探すイテレーション。
これはつまり、意味や意図、概念を表現するために文章を使うということです。さもなければ、単なる事実の指摘。
典型的な理系男ですね。
逆に、自分の感情をそのまま表現せよと言われるとかなり困っちゃいます。
上のブログの感想も、たった3〜4行なのにえらく書くのに手間取ってしまいました。
上のブログのdoorさんのような、自分の感情そのものを表現するプロトコルとは別な世界で生きているようです。(そうか。それで大学入試の国語でも、論説文はまあまあ解けたけど、小説はてんでダメだったのか。今気づいたよ。)
これは困りモノです。僕はカタワなのでしょう。
こんなことがありました。(※注:妄想です)
女「私のこと好き? 僕「あたりまえじゃん 女「どこが好き? 僕「う〜ん (1秒ほど分析してみるが、満足な答えが得られない) (仕方ないので、こういう場合の適切な回答例を1秒ほど考えてみる)」 僕「笑った時の君の目が好き。あと、志が高いのも好き。(以下略)」
この2秒と、その後の取ってつけたような回答が命取りなのでしょう。
もちろん、僕はこの女性のことを好きなのです。
ではそれを表現しましょう。
まず、どこが好き?という疑問文に対して、文法的に適切な回答は、「"彼女の何らかのパーツ"が好き」です。
この問題提起に対して、僕の分析心は訳の分からない方向へ飛躍します。
(彼女のパーツが好きであるとする。例えば彼女のこのなめらかな手が好きだとしよう。 しかし、仮に今この場に手だけが存在していたとしたら、それはとても不気味な光景ではないか?)
(いや、まて。そもそも彼女のことが好きである証左として、パーツを挙げるというアプローチはおかしいのではないか? 彼女のことが好きであると仮定して、好きなパーツが存在するとは限らない。パーツだけ抽出するならばそれは不気味だからだ。 逆に、彼女の特定のパーツが好きであるとして、彼女という実存そのものが好きであるとは限らない。それは合成の誤謬というものだ)
(とするならば、ここでは実際にこの疑問文に対する回答を文字通り答えるべきではなく、僕がいかに彼女のことを愛しているかが彼女に伝わるような回答をすべきなはずだ・・・)
これだから理系の男はモテナイのでしょう